備前焼について

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土と炎の芸術

焼き締めの際に釉薬(うわぐすり)を使わない備前焼は、「①土、②焼け、③形」といわれるなど、まさに土が命の焼き物です。
この焼き締めの伝統を守り続けて千年、窯の煙は途絶えたことはありません。
釉薬(うわぐすり)を使わずに良質の陶土をじっくりと焼き締めるという、ごく自然な土と炎の融合によって生み出される素朴な手作りの温もりが備前焼の魅力です。
そして、その焼き締め方ゆえに同じものは、ふたつとして存在しないというのが、備前焼の特徴です。
備前焼の焼成りの色・形の美しさは、「侘び・さびの世界」「山河の魅力」「豊かさと貧しさの共存」「幽玄の美」「威風堂々」など、様々な言葉によって表現されます。

 

 

  IMG_0592備前焼の歴史

備前焼は鎌倉時代には、備前の国、伊部(いんべ)の西にある、熊山周辺で作られていましたが、
これが徐々に伊部や南伊部にうつっていき、約600年前の応永年間には、
現在も陶芸のメッカといわれる「伊部の里」の原型となる大集落が出来ました。

その後、桃山時代になると豊臣秀吉や利休、織部などの茶人に愛用され茶陶として全国的に名声を高めます。

利休は備前焼の花入壷などを数十回も使用しています。

この時代、備前焼はひとつの頂点を極めたといって良いでしょう。
江戸時代になると、備前藩主池田氏は、備前焼を特産物として保護し、窯元六姓には「御細工人」という肩書きを与えました。

窯元六姓というのは、「木村・森・金重・大饗・頓宮・寺見」の六家で、現在もその子孫は窯元や作家として活躍しています。

江戸時代の後期になると、藩の保護は次第に薄れて備前焼は少しずつ寂れていきます。
次に繁栄を迎えるのは、戦後世の中が落ち着き経済復興が始めるようになってからで、この頃から活気を取り戻し現在に至っています。

 

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備前焼の種類(焼成)

備前焼の焼成には主に次のようなものがあります。

 
  1. 赤焼
    昔から続く一般的な焼成で焼き上がりの肌の色が赤くなります。
  2. 窯変
    窯の内部の仕切りの場所に置いて焼くと、赤黒い灰色のこげが出来たように焼きあがりま
    す。桟切ともいいます。
  3. 胡麻焼
    胡麻をふりかけたように黄褐色に焼きあがったものをいいます。
  4. 緋襷焼(ひだすきやき)
    明るい褐色(黄土色)の焼肌に赤い線が縦横に走り、肌にたすきをかけたような焼きあがり
    になったものをいいます。
  5. 青焼
    赤く焼けるはずのものが、窯内の強い火にあたる場所では空気の流れが悪くなり青灰色に焼
    きあがることがあります。